きっと、澄みわたる朝色よりも、 鬼武先生 名言 ルールは壊すためにある
おはようございます!今日はゲーム「きっと、澄みわたる朝色よりも、」の鬼武先生の名言です。
「いいか諸君。ルールというものはな、守る為にあるんじゃない。だが、破る為にあるのでもない、、、そう!、、、壊す為にあるんだっ!!」by鬼武先生
ゲームをプレイ中、この言葉を聞いた時は「・・・・・・・・・・(考え中)、ああ~、なるほど、言われてみると確かにそうだなぁ。。。」って感じで目から鱗でした。
生まれてきて、物心ついてきたころには、自分たちが生きている国、社会というものにはルールだらけだって事は誰しもが分かっている事でしょう。
どんなルールにも共通する点は、それは国とか市とか学校とか部活とかその集団の大小を問わず、その中の誰か一人とか個人ではなく、集団全体の利益とか安全とかそういうものを守るためにあるという点です。
「このルールは誰か特定の人ばかり得をするようになっている。」とかそういう実情もちらほらあるのかもしれませんが、それが「「ルール」であるならば、名目としては「全体のため」というのが現代社会では必須条件のはずです。
でかい範囲で政治家、小さい単位でなんかチームのリーダーとかルールを作る側の人間にとっては、集団に属しているだけの人間には別にそのルールの本当の目的とか意義なんか理解しないでも「守ってくれてさえいれば」それでなんの問題もないかもしれません。
しかし、この鬼武先生の言葉は、ルールを作る側の視点での言葉であり、科学技術とか社会の発展、情勢の変化に応じてルールを変更したり新たに作成したりいかなければなりません。
変更、新たに作成するというのが鬼武先生の言う所の「壊す」に該当すると思いますが、まあつまり、ルールもまた私達人間の成長、変化とともにより良いものへと変化し続けなければならないという事ですね。
「俺はルール作る側じゃないから関係ないわ。」って思われるかもしれませんが、そこは「自分の中のルール」って考えでいけば誰でもルールを作る側になれます。ストイックな人とかは結構持ってそうですよね。私も割と好きです。
結局、鬼武先生が一番言いたい事は、社会のルールにしろ、自分のルールにしろ、まるでアプリのアップデートのようにどんどん良い方へ良い方へ更新していくべきだという事はないかと。
アプリだと改悪とか割とありますが・・・まあ、目指すべきはまさにその通りだと思います。日々、自分を良い方へどんどん更新していきたいものです。
ここまで読んでどうもいただきありがとうございます。
それでは、今日も良い一日を!