ちょっと考える

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コードギアス 反逆のルルーシュ シュナイゼル 名言  既存の価値観に囚われるのは悪くない

 シュナイゼル殿下はこう言っている。

 

「人の本質とはね、何かに支配されたいということなんだよ。」byシュナイゼル

 

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学生時代にこのアニメを見たと時に聞いた時、つまり「自由である事とはどういう事か?」をろくに考えもせずとりあえず「自由」というのは素晴らしい事であり、響きが良いその言葉に酔っていた頃は、「そんな事はない!人間はもっと自由なそんざいだ!」というような感じで、彼の言ってる事は理解できなかったうえに、反対していた私だが、6年程経った今なら彼のこの言葉はどうしようもなく真実である気がしてならない。

 

 

 

 

 

しみじみと人生を振り返るような年齢でもないと思うが、振り返ってみると、私は元々若者らしいエネルギーが平均よりも大分少なかったような気はする。

 

 

 

勉強とかスポーツとかは私たち学生(当時の)にとっては絶対的とすら言えるステータスだったような気はするし、それに自分がある程度支配されている事は自覚していたし、他人に負けると「うぜえ。」とか思う事もあるし、勝てば「俺は他の奴らよりも優れている」なんて風に下らない優越感に浸る事もあった。

 

 

 

しかし、どうもそれに支配されきれなかったというか、「うぜえ」とか「俺すげえ。」とか思ったとしても、その悔しさとか、優越感に浸り続けたいとはならなかったのだ。

 

 

それに連続で支配されたとしても、長くて1日、はやいと、「うぜえ」とか「俺すげえ」とか思ったすぐ後に、「だから、なんなんだ・・・?うわぁ、俺下らねえ。。。」て直前の自分を思い返して軽く自分の下らなさに自己嫌悪したりすることが多かった。

 

 

 

かといって、それらを下らないといいながら、「では自分にとって何が下らなくないのか・・・?」と考えると、また答えがでないのである。そして、さらに自分の下らなさに絶望するのである。

 

 

流石にもうそんな負のスパイラルに陥る事はなくなったが、学生時代は常にこんな感じであった。

 

 

今更だから思うが、学生にとって、学校が世界の全て、またはほとんどである以上、テストの点数だとか、スポーツの成績だとか、そういう共通の価値基準に支配されていた方が充実して過ごせる気はする。

 

 

 

 

今までさんざん、「自分とは何か?」「自分は何がしたいのか?」と自分の内側から、アイデンティティーを確立しようとし、それが一番良いあり方だと考えてきた私だが、既存の価値観に支配されず、何から何まで自分の内側からアイデンティティーの確立とか自分らしさとかそういうものを構築するのも中々大変ではある気がする。

 

 

 

学生なら先ほど言った勉強とかスポーツ、社会人なら学歴だとか資格だとか収入、そういう実際に数字とか形のあるものは「自分はこれだけの価値がある」と思わせてくれる。

 

 

こういう既存の価値観に染まる事を2,3年前の私なら良しとせず、その価値観に染まりそうな自分を感じる度に、「これは良くない」と自分を責めてきた。

 

 

しかし、それらの既存の価値観に支配され、行動し続けられることは「若さの象徴」とも言えるのではないかと最近私は思うのだ。

 

 

突き詰めれば突き詰める程わけのわからないこの世界において、「勝つと嬉しいから」「数字が多いと嬉しいから」そんな単純な価値観に支配され続け、行動し続けるというような若さは私が年齢、見た目ともおっさんになっても、より充実した人生を送るには不可欠な事ではないかと思うのだ。

 

 

 

そういう価値観を学生時代の「それがなんなんだ。」「どうでもいい・・・」と悲観的に捉えてしまっていたことこそ、精神的におっさんというか、老けていた気がしてならない。

 

 

 

既存の価値観だけに染まってしまうのもどうかとは思うが、今後は、既存の価値観に染まっている自分を自覚したとしても、それを前向きに、肯定的に捉える様にしていきたいと思う。

 

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