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CHAOS;CHILD 宮代拓留 名言 本当はリア充になりたい

おはようございます!今日はゲーム「CHAOS;CHILD」 の宮代拓留の名言です。

 

 

 

「昨今のリア充は、本当の意味で現実は充実しているかどうか。つまり、やりたいことが出来ているかどうかで判断されるんだ。そういう意味で、僕はリア充だ。だから、暇に任せてふざけているあいつらはリア充なんかじゃないんだよ。」by宮代拓留

 

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「リア充」。つまり、リアル(現実)が充実している人間のことを指す言葉ですね。

 

この言葉そのものと、この言葉の実際に世間での使われ方に疑問を抱いた事はないでしょうか?

 

 

私も高3の受験シーズン、エロゲにドハマりしている時に、まったく同じような疑問を抱いた事があります。

 

 

 

なんで彼女がいるヤツとかモテるヤツが『リア充』なんだ?現実生活が充実がしているかどうかなんてのは本人にしか分からない事だし、何がその人にとっての『充実』かなんてのは人それぞれだろう?そう考えれば、最高に面白いエロゲをやりまくっているという俺のリアルは充実していると言える。だったら俺もリア充じゃないか。」

 

 

そう本気で思っていたし、思い返してみても、それはそれで、当時の私にとっては正しかった気もします。

 

 

 

しかし、アニメとかゲームとかどんなに楽しい娯楽に浸っていても、

 

・可愛い子とイチャイチャしたい

・可愛い子に告られたい

・可愛い子と素晴らしい恋愛がしたい

 

といった異性に対する欲求は学生時代を終えて、数年経った今も消えてはいない。それはそれ、これはこれという感じなんですよね。

 

 

 

宮代拓留や私のように、「リア充」という言葉自体にならあれこれこじつけて「彼女なんていなくても俺だってリア充だしっ!」とかいう事は出来ます。

 

 

ただ、重要なのは、「リア充という言葉の使い方がおかしい」とかそんな事ではなく、ほぼ全ての男は「可愛い事と〇〇したい」という欲望、というかもう欲求と言ってもいい気がするが、そんなものを程度の違いはあれ、持っているという事でしょう。

 

 

 

実際に付き合ってみれば、何かとめんどくさいとかいう話はあるが、可愛い子と付き合った事もない人間から見れば、「可愛い子と付き合っている」という事実があるだけで嫉妬の対象であり、俗に言う「リア充爆発しろ!」という風になるものです。

 

 

 

「リア充」=異性との付き合いがある

 

 

というようなイメージが出来上がったのは、人がそれほどに心底、異性との恋愛を求めているという証拠な気がします。

 

 

学園・純愛・ハーレムものといったエロゲやアニメが10年以上前から作られ続け、それのジャンルが今も変わらず需要があるという事ももしかしたらそういう事なのではと思う。

 

 

私自身、そういうアニメやエロゲは大好きだし、そういうものを通して

 

「あー、俺もそんな生活が送りたい(かった)んだよ。」

 

と、これでもかという程の「リア充」である主人公の日常生活を通して、「リア充」への憧れを新たにしているという自覚があります。

 

 

ちなみに、良質なリア充の疑似体験がしたいなら、エロゲなら「D.C.Ⅱ」という作品がおすすめなので、興味ある人は以下のページで感想書いてるんで良かったどうぞ。

erogeosusume.com

 

 

美少女たちが私(主人公)を巡って泣いたり笑ったり怒ったり争ったりする様は実に圧巻である。シナリオ自体も良いし、疑似体験とはいえ、非常にクルものがあります。

 

私的には王道学園ものの最高峰のエロゲと言える。ここまでプレイしていて幸福感を感じられる作品は中々ない気がすますね。

 

 

 

まあ、つまり私はいつだって「リア充」になりたいわけだが、悲しい事だが、顔が良い訳でもスポーツとか特技があるわけでもない男には、ほっといても可愛い子が寄ってくるなんて事はまずありえないものです。

 

 

なので、それを得たいなら行動あるのみなんですが、気が乗らないんで正直今はそっち方面の努力はしてないんですが・・・いつかは誰か可愛くて性格良い子と結婚を前提にお付き合いというまさかのチャンスが来たら掴めるように、まずは何より自分を高めたいと思います。