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月姫 アルクェイドの名言 人間が他の生物とコミュニケーションを取れない事の幸福さ

おはようございます!今日はゲーム「月姫」のアルクェイドの名言です。 

 

 

「もしもよ?もしも鳥や魚が貴方とおなじくらいに知性と寿命があったなら貴方は食べられる?どんなに知性があっても食べ物は食べ物だって割り切って食べられる?」byアルクェイド

 

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今から話す事は我ながら特に生産的でもないし、それを言ったところで、聞いたところで、別に何かが変わるわけでもありません。無意味と言えば無意味な話しかもしれませんが、常々思っていたことがあるので書きたいと思います。

 

 

 

私に限らず、人間にとっては人間こそが最も大切で、他の生物は2の次、3の次です。

 

 

 

自分が生きていくために美味ければ何だって食うし、人生に娯楽や癒しを与えてくれるような可愛さを持っているならなんでも飼う

 

 

ほとんどの人間はその行為に対して何の疑問も持たないでしょう。私自身、肉や魚を食べる時にいちいちそんな事は考えてません。

 

 

しかし、この言葉のように、もし、豚とか魚とかが私たち人間と同じ言葉を話すか、または何を言っているかが理解できるようになり

 

 

「殺さないでくれ!」「俺には愛する家族がいるんだ!」「まだ、生きてやりたいことがたくさんあるんだ!」

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 とか言ったりしていたとしたら、恐らくですが、誰もがそれを食べる事を躊躇するでしょう。誰かが食べ始めれば、みんな食べ始めるかもしれませんが、それまでとは違い、罪悪感のようなものを感じずにはいられなくなるのではないかと思う。

 

 

もし、いままで好き勝手に食ったり飼ったりしてきた生物とコミュニケーションが取れてしまったら、その生物に対してそれまでと同じように見ることはできないでしょう。

 

 

 

ですから、私たちがそのほかの生き物とコミュニケーションを取る事が出来ないという事はこの上ない幸でしょう

 

 

何を考えているのかも言っているのかも分からないからこそ、私たちはそれを罪悪感もなく当然のように食べる事が出来る

 

 

 

ペットや観賞用の魚にしても扱われ方が違うだけで本質的にはあまり違わない気はします。

 

 

 

よくありますが、犬とか猫とかと人間の交流を描いたハートフルストーリーというものがありますが、あれを見ていると確かに犬や猫も人間と同じように幸せだったように見えますよね。(見えなかったらハートフルでもなんでもないですしね。)

 

 

 

でも、そう見えるだけですよね。それが映画であってもドラマであってもなんでもいいですが、それを作っているのは全て人間であり、人間の鑑賞用に作られた物で、つまり人間にとって都合の良い物である事は間違いありません。

 

 

犬や猫とコミュニケーションが取れて、制作スタッフに犬とか猫とかも参加することが出来れば違う物になるかもしれないが、そんな事は不可能です。

 

 

 

「ワン」とか「ニャー」とか言うのを喜んでるとか怒ってるとか好き勝手に解釈する。それで、最終的に「この子もきっと幸せだったよ。。。」と思えればそれでいい。

 

 

なんか書いてて我ながら捻くれいるというか、歪んでるかもですが、決して好きで動物を飼ってる人とか、そういう映画とかを作る人を批判しているわけではありません。

 

 

 

 

私はそれなりに動物は好きだと思います。みんなが見て「可愛い。」と思う生き物は私だって「可愛い。」と思う事は多いです。

 

 

しかし、こんなことを考えてしまう性質なので、ペットは一生飼わないでしょうね。飼い出すタイミングにもよるかもしれないが、大体ペットは自分よりも先に死んでいきますし。

 

 

その時、私はその自分に飼われたペットが「本当に幸せだったのかどうか?」と考えてしまうでしょうね。同じ人間なら、生きているうちに「今幸せですか?」と聞けば「幸せだ。」とか何か言ってくれるだろうが、(それが本音かどうかは置いておいて。)猫とか犬なら「ワン」とか「ニャー」しか言ってくれないし、魚なら何も発してくれない。

 

 

 

「ああ、彼(ここでは人間、動物含む)は幸せだったんだな。」

 

 

と私が思い込むに為にはやはり言葉は必要なのだろうと思います。

 

 

 

こんな考えても仕方が無い事を考えてしまうのは考えてしまい、ある意味自分の行動を制限してしまうのは損をしている気がしないでもないですが、こんな風に思うようになってからは食事に対しより敬意を払うようになり、残したりする事は滅多になくなったのは非常に良い事だと思ってます。

 

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