ネトゲの嫁は女の子じゃないと思った? 西村英騎 名言 集合的無意識はありがたい
おはようございます!今日はアニメ「ネトゲの嫁は女の子じゃないと思った?」の西村英騎の名言です。
「俺は一つの真理に行き着いた。。。それは・・・可愛ければいいじゃないか!」by西村英騎
当然と言えば当然のことなのですが、この世には他に何か不都合な点やデメリットがあるとしても、ただその1点だけが特化していれば、それだけで受け入れられる、認められる絶対的とも言える力というのがいくつかあります。
そのうちの一つがこの言葉でも言っている「可愛さ」でしょう。
女優とかアイドルとかもそうだが、特に二次元という「実在しない人物」については「可愛さ」というのは絶対的で絶大な求心力があるのは間違いないと思います。
アニメだろうがエロゲだろうが漫画だろうがラノベだろうが、その中に登場する人物たちはほぼ全員可愛い。もしくはかっこいいのが常です。
キャラとして、意図してブサイクにしたりする事はあるでしょうが、登場人物全員がブサイクなんて事はまずありえないでしょう。少なくとも私は見た事がないです。
これは「可愛さ」に限った話ではなく、「面白さ」「美味さ」「便利さ」といった事にも共通すると思いますが、人間の趣味趣向は千差万別ともいうが、これらの絶対的な価値基準についてはあまり個人差はなく、大多数が可愛いと思う人は可愛いし、大多数が面白いと思うものは面白いし、美味さ、便利さもまた同様であると思います。
「いや、俺はそう思わないけど。」っていう例外は必ずありますが、8割~9割くらいの人間に共通する、昔にユングが提唱したような「集合的無意識」のようなものは確かにあるように思えます。
細かい所では確かに人間というのは千差万別かもしれませんが、「可愛さ」「面白さ」「美味さ」「便利さ」という絶対的ともいえる価値基準に支配されているという点においては人間にほとんど大差はない、というか同じと言ってもいいと思います。
しかし、なぜそれを「可愛い」「面白い」「美味い」「便利だ」と思うのか?、を考えると、突き詰めると「なんとなくそう感じるから。」としか言えないからなんとも面白いというか、不思議だと思います。
「こうこうこういう所が~」と何故そう感じるのか、思うのかを説明する事はある程度出来るとは思いますが、さらにそう思うのはなぜか、なぜか、と問うていけば根本にあるのはそれに触れた時の直感のようなものだけが残ると思います。中には突き詰めてもそう思う、感じる理由を理路整然と説明できる人もいるのかもしれませんが、私には無理です。
私がいつからこれらの絶対的な価値基準に支配されたのかは思い出す事は出来ませんが、私は死ぬまでこれらの絶対的な価値基準に支配され続けるでしょう。
そういう意味では人間は人間というだけで既に自由ではないのかもしれませんね。
しかし、訳の分からないこの世の中において、こういった絶対的な価値基準がある事は、生き続ける理由や死にたくない理由になる事を考えればそれはとても幸福な事ともいえるような気がします。
生きてれば、ふとなんで生きてるのか分からなくなる時が私にはたまにあるのですが、「じゃあ死ぬのか?」と考えると、死ねばもう二度と可愛い二次元キャラを見れない事、美味い料理を食えない事、面白いものに触れる事が出来ない事なんかを考えれば、「それは嫌だな。」となり生き続けようという気持ちにさせてくれる。
人間は本当にいろいろなものに縛られていてめんどくさいと思います。しかし、縛られているからこそ楽しかったり喜んだりとか出来るのかもしれません。
ここまで読んでいただきありがとうございます!
それでは今日も良い一日を!