アオハライド 菊池冬馬の名言 どこを向けば前向きなのか?
おはようございます!今日は少女漫画「アオハライド」の菊池冬馬の名言です。
「前向きって分かんない。何をすれば前向きなの?」by吉岡双葉
「吉岡さんが向いてる方が前向き。それでいいじゃん。」by菊池冬馬
これは少女漫画「アオハライド」の主人公、吉岡双葉の疑問とそれに対する菊池冬馬の返答です。
「ほんとその通りだよね。」って話をしようと思います。
誰でも良く言うと思いますが「前向きにいこう!」という言葉がありますよね。意味的にはポジティブシンキング、プラス思考とほぼ同じニュアンスで使われますね。
しかし、前とか後とか、言葉に注目してみると、↑のこのやり取りはとても面白いというか興味深いです。
時には、自分からすれば前向きのつもりでも、周りから見れば後ろ向きでに見えるかもしれないし、自分では真っ直ぐ歩いているつもりでも、周りから見れば、斜めだったり、フラフラとしているように見えるかもしれません。
たぶんですが、所謂前向きとかプラス思考というのは、自分と周囲でズレるよりは一致する事は多いような気はします。(前に書いた集合的無意識な感じで、美味い食べ物は大多数が美味いと言うだろうし、美人の女優を見れば大多数が美人だと思うのと同じような。)
しかし、そうなる事が多いとはいえ、いつでもどこでも例外はあるものだと思います。例えば、以前の私の行動などもその一つかもしれないので軽く紹介したいです。
私は無職でした。だから仕事を探さなければなりませんでした。そこで、自分の経験を活かせる職を探しました。
とにかく、何でもいいからさっさと自分の経験に合った職を手に入れる事しか考えていなかった私は、面接で「その先の事」を聞かれだが、正直何も考えていなかったので、正直にそう答えました。
それでも、2次面接もしてくれるというのだから本当にありがたいと思います。しかい、私はそれを辞退しました。
学歴も資格も特にない無職からの就職と考えれば、条件的には申し分ないというか、むしろ大分良かったとは思います。
それを後もう一つ面接に通れば職を手に入れられるという所まできて、私はそれを自ら蹴りました。
周りからすれば、後ろ向きというよりかただのバカにしか見えないかもしれないが、私は「先の事を考えているのか?」と問われて、改めてそれを考えてみた結果、先に書いた非常に好条件と思われる職場に就職する事よりもより良いと思える道を見出したと思ったのです。
もしかしたら、後になってから、「ああ、惜しい事をした。。。」と思うかもしれまませんが、しかし、それでも私はとても前向きなつもりでした。
自分の向いている方向について、他人から「それは斜めだよ。」「それはUターンしてるよ。」と言われたとしても、最終的に自分が向いている、向きたい方向。それが前向きであり、最善の道。こう思っていた方が幸せなんじゃないでしょうか。
しかし、他人の意見とか助言等は聞く耳を持たないのではなくむしろよく聞くべきだとは思います。
私も今回は友人に相談して、最終的に決断しましたが、煮詰まった時には他人の純粋な意見というのはとても参考になる事があると思います。
今に始まった事じゃないですが、自分が今向いてる方向とかやっている事とかに疑問とか迷いが生まれた時は、考えて、新たな道がより良い道が見つかるならそれはそれでいいかもしれないが、単なる気の迷いであるならば、「自分にとってはこれが正しくて前向きだ。」と思うしかないと思うし、そう思ってる方が幸せでしょう。
ここまで読んでどうもいただきありがとうございます。
それでは、今日も良い一日を!
車輪の国、向日葵の少女 樋口璃々子の名言 資格とか学歴の価値
おはようございます!今日はゲーム「車輪の国、向日葵に少女」の樋口璃々子さんの名言です。
「資格なんて、所詮は社会が決めた基準の一つでしかないわ。弱いやつほどそういったものにすがるのよ、資格とか、学歴とかね。」by樋口璃々子
そのまんま文字にこの言葉を受け取れば、
「そうだよ!やっぱ大切なのは、資格とか学歴とかじゃなくて、愛とか情熱とか精神的なものなんだよ!」
と、資格、学歴=大した価値はない。と解釈してしまう人は割といるかもしれません。何を隠そう、私も高校から5年ぐらいの間ずっとそう思ってました。
「俺には資格も学歴も無いけど、やる気だけはあるから大丈夫!」
と信じて疑っていませんでした。まあ、今でもその「やる気」が本当に持続できて、適切な方向に向いているのなら人生どうとでもなるとは思ってます。
しかし、そこそこいい年にになって就活なんぞを始めてみると、それまで価値なんかないと思っていた資格とか学歴とかの価値が身に染みて分かってきてしまったんですよね。
気になっている会社の求人欄をいくつか見ても、応募条件に、要〇〇免許とか書いてあったり、資格があるかどうか、大卒であるかどうかの違いだけで待遇が違っていたり、そもそも大卒じゃないと応募出来ないとかありまくりなんですよね。
私は、やる気と資格や学歴、どちらがより重要かと問われれば、今でもなお、やる気と答えます。
だが、こと履歴書上においては
やる気<<<<<<<<<<<<<資格や学歴、職歴
という事を私は割と今更だが、ここ数か月の就活で学んだ。履歴書に「やる気はあります!」と書いたところで、書かないよりはましぐらいの効果しかないでしょう。履歴書に「やる気ある。」って書いてあったからじゃあ採用なんてしてくれる面接官なんてそうそういないと思います。
高校生の時のとかに、「とりあえず大学は行っておいた方がいい。」「何かの役に立つから免許や資格は取っておいた方がいい。」そう周囲の人間が言っていた理由が4,5年越しに「ああ、確かにそうだったんだな。」と初めて理解しました。
当時の私と言えば、「いや、俺いざとなればやる気だすから。」という感じで、その時には何もやる気が無い癖に、「いつ湧いてくるかもしれない根拠のないやる気」を縋ってました。
資格とか学歴とかの価値が今いち分からないという人は、とりあえず、
資格、学歴=金
と考えていいのではないかと思います。というか、今の私はそう理解しています。こう考えた方が一番シンプルでしっくりきませんか。むしろ、金に繋がらない資格や学歴に何の価値があるんでしょうか?まあ、自尊心とか、資格取得自体面白いって人も中にはいると思いますが。
何せ、金が無ければ私たちは生きていく事が出来ないのだから、金のために頑張るという事についてははさむ疑問も無いはずです。
そういう訳で、今更だが、私は自分のやる気を資格取得とか将来に役立つことに向け始めてます。
本当にやる気があれば、今から大学に入学して、大卒という学歴を獲得する事も可能なのだろうが、流石にそこまでする気にはならないし、学歴を得るためだけに大学にいくにしても既に好機を逃している気がするので、学歴についてはもういいやって感じです。
「所詮は社会が決めた基準の一つ」
は確かにそうですが、しかし残念ながら私は「社会」というものから逃れる事が出来ないし、そんな基準の一つに左右されてしまう脆弱なただの人間の一人です。
璃々子姉さんのこの言葉は
「俺こんだけ資格持ってるしー、学歴もあるしー、もうやる気なんてなくても大丈夫。」
って感じで私とは正反対のタイプの、「資格をたくさん持ってる俺まじ優秀。」みたいな自尊心ばかり高い人間には効果的かもしれません。
このパターンでは、履歴書は素晴らしい履歴書になり、採用はされるかもしれないが、やる気が全然なかったら続ける事が困難だろうし、それで辞めて次の所へっ、ていうのを繰り返せば学歴、資格は素晴らしくても・・・・・って感じになるでしょう。
まあ、私の場合、「金のため」と考えるのが良いと思うが、なんとなくではなく、目的意識があって資格が学歴を取得していくのが最高のパターンでしょう。
しかし、学生時代ともなると、自分で稼いでいる訳でもないので、金の重要性については強く実感できないかもしれないし、明確な目的意識を持てというのも難しいかもしれない、親や友人が言ってたからとか、なんとくなく後々役立ちそうだったからとか、そういう理由でも動ける人は動いておいて損はないでしょう。
私はなんとなくで動くことが出来なかった人間なんで、それができる人はそうしておいた方がいいですよ、後々ほんとそう思うと思います。。
好きな曲をお勧めするコーナー。多分日本でも結構有名になってきてるんじゃないでしょうか?「MUSE」。
最初に好きになったのがこの曲なんですが、イントロから繰り返される蠢くようなベースライン。これがなんかハマってしまうんですよ。
そして、曲によってはギターなんだか声なんだか分からないようなボーカルの声。このバンドは独自のかっこよさがありますね。
月姫 アルクェイドの名言 人間が他の生物とコミュニケーションを取れない事の幸福さ
おはようございます!今日はゲーム「月姫」のアルクェイドの名言です。
「もしもよ?もしも鳥や魚が貴方とおなじくらいに知性と寿命があったなら貴方は食べられる?どんなに知性があっても食べ物は食べ物だって割り切って食べられる?」byアルクェイド
今から話す事は我ながら特に生産的でもないし、それを言ったところで、聞いたところで、別に何かが変わるわけでもありません。無意味と言えば無意味な話しかもしれませんが、常々思っていたことがあるので書きたいと思います。
私に限らず、人間にとっては人間こそが最も大切で、他の生物は2の次、3の次です。
自分が生きていくために美味ければ何だって食うし、人生に娯楽や癒しを与えてくれるような可愛さを持っているならなんでも飼う。
ほとんどの人間はその行為に対して何の疑問も持たないでしょう。私自身、肉や魚を食べる時にいちいちそんな事は考えてません。
しかし、この言葉のように、もし、豚とか魚とかが私たち人間と同じ言葉を話すか、または何を言っているかが理解できるようになり
「殺さないでくれ!」「俺には愛する家族がいるんだ!」「まだ、生きてやりたいことがたくさんあるんだ!」
とか言ったりしていたとしたら、恐らくですが、誰もがそれを食べる事を躊躇するでしょう。誰かが食べ始めれば、みんな食べ始めるかもしれませんが、それまでとは違い、罪悪感のようなものを感じずにはいられなくなるのではないかと思う。
もし、いままで好き勝手に食ったり飼ったりしてきた生物とコミュニケーションが取れてしまったら、その生物に対してそれまでと同じように見ることはできないでしょう。
ですから、私たちがそのほかの生き物とコミュニケーションを取る事が出来ないという事はこの上ない幸でしょう。
何を考えているのかも言っているのかも分からないからこそ、私たちはそれを罪悪感もなく当然のように食べる事が出来る。
ペットや観賞用の魚にしても扱われ方が違うだけで本質的にはあまり違わない気はします。
よくありますが、犬とか猫とかと人間の交流を描いたハートフルストーリーというものがありますが、あれを見ていると確かに犬や猫も人間と同じように幸せだったように見えますよね。(見えなかったらハートフルでもなんでもないですしね。)
でも、そう見えるだけですよね。それが映画であってもドラマであってもなんでもいいですが、それを作っているのは全て人間であり、人間の鑑賞用に作られた物で、つまり人間にとって都合の良い物である事は間違いありません。
犬や猫とコミュニケーションが取れて、制作スタッフに犬とか猫とかも参加することが出来れば違う物になるかもしれないが、そんな事は不可能です。
「ワン」とか「ニャー」とか言うのを喜んでるとか怒ってるとか好き勝手に解釈する。それで、最終的に「この子もきっと幸せだったよ。。。」と思えればそれでいい。
なんか書いてて我ながら捻くれいるというか、歪んでるかもですが、決して好きで動物を飼ってる人とか、そういう映画とかを作る人を批判しているわけではありません。
私はそれなりに動物は好きだと思います。みんなが見て「可愛い。」と思う生き物は私だって「可愛い。」と思う事は多いです。
しかし、こんなことを考えてしまう性質なので、ペットは一生飼わないでしょうね。飼い出すタイミングにもよるかもしれないが、大体ペットは自分よりも先に死んでいきますし。
その時、私はその自分に飼われたペットが「本当に幸せだったのかどうか?」と考えてしまうでしょうね。同じ人間なら、生きているうちに「今幸せですか?」と聞けば「幸せだ。」とか何か言ってくれるだろうが、(それが本音かどうかは置いておいて。)猫とか犬なら「ワン」とか「ニャー」しか言ってくれないし、魚なら何も発してくれない。
「ああ、彼(ここでは人間、動物含む)は幸せだったんだな。」
と私が思い込むに為にはやはり言葉は必要なのだろうと思います。
こんな考えても仕方が無い事を考えてしまうのは考えてしまい、ある意味自分の行動を制限してしまうのは損をしている気がしないでもないですが、こんな風に思うようになってからは食事に対しより敬意を払うようになり、残したりする事は滅多になくなったのは非常に良い事だと思ってます。
ネトゲの嫁は女の子じゃないと思った? 西村英騎 名言 集合的無意識はありがたい
おはようございます!今日はアニメ「ネトゲの嫁は女の子じゃないと思った?」の西村英騎の名言です。
「俺は一つの真理に行き着いた。。。それは・・・可愛ければいいじゃないか!」by西村英騎
当然と言えば当然のことなのですが、この世には他に何か不都合な点やデメリットがあるとしても、ただその1点だけが特化していれば、それだけで受け入れられる、認められる絶対的とも言える力というのがいくつかあります。
そのうちの一つがこの言葉でも言っている「可愛さ」でしょう。
女優とかアイドルとかもそうだが、特に二次元という「実在しない人物」については「可愛さ」というのは絶対的で絶大な求心力があるのは間違いないと思います。
アニメだろうがエロゲだろうが漫画だろうがラノベだろうが、その中に登場する人物たちはほぼ全員可愛い。もしくはかっこいいのが常です。
キャラとして、意図してブサイクにしたりする事はあるでしょうが、登場人物全員がブサイクなんて事はまずありえないでしょう。少なくとも私は見た事がないです。
これは「可愛さ」に限った話ではなく、「面白さ」「美味さ」「便利さ」といった事にも共通すると思いますが、人間の趣味趣向は千差万別ともいうが、これらの絶対的な価値基準についてはあまり個人差はなく、大多数が可愛いと思う人は可愛いし、大多数が面白いと思うものは面白いし、美味さ、便利さもまた同様であると思います。
「いや、俺はそう思わないけど。」っていう例外は必ずありますが、8割~9割くらいの人間に共通する、昔にユングが提唱したような「集合的無意識」のようなものは確かにあるように思えます。
細かい所では確かに人間というのは千差万別かもしれませんが、「可愛さ」「面白さ」「美味さ」「便利さ」という絶対的ともいえる価値基準に支配されているという点においては人間にほとんど大差はない、というか同じと言ってもいいと思います。
しかし、なぜそれを「可愛い」「面白い」「美味い」「便利だ」と思うのか?、を考えると、突き詰めると「なんとなくそう感じるから。」としか言えないからなんとも面白いというか、不思議だと思います。
「こうこうこういう所が~」と何故そう感じるのか、思うのかを説明する事はある程度出来るとは思いますが、さらにそう思うのはなぜか、なぜか、と問うていけば根本にあるのはそれに触れた時の直感のようなものだけが残ると思います。中には突き詰めてもそう思う、感じる理由を理路整然と説明できる人もいるのかもしれませんが、私には無理です。
私がいつからこれらの絶対的な価値基準に支配されたのかは思い出す事は出来ませんが、私は死ぬまでこれらの絶対的な価値基準に支配され続けるでしょう。
そういう意味では人間は人間というだけで既に自由ではないのかもしれませんね。
しかし、訳の分からないこの世の中において、こういった絶対的な価値基準がある事は、生き続ける理由や死にたくない理由になる事を考えればそれはとても幸福な事ともいえるような気がします。
生きてれば、ふとなんで生きてるのか分からなくなる時が私にはたまにあるのですが、「じゃあ死ぬのか?」と考えると、死ねばもう二度と可愛い二次元キャラを見れない事、美味い料理を食えない事、面白いものに触れる事が出来ない事なんかを考えれば、「それは嫌だな。」となり生き続けようという気持ちにさせてくれる。
人間は本当にいろいろなものに縛られていてめんどくさいと思います。しかし、縛られているからこそ楽しかったり喜んだりとか出来るのかもしれません。
ここまで読んでいただきありがとうございます!
それでは今日も良い一日を!
ef 広野紘 名言 何もしたくない言い訳
おはようございます!今日はアニメ化もしたゲーム「ef」の広野紘くんの名言です。
「世の中がつまらないだとか。自分にはなんの取り柄もないだとか。なにもしたくなくて、毎日だらだら遊びたい奴の言い訳でしかない。俺は自分に言い訳したくない。ちゃんと前を向いて進んでいきたい。ただ、、、そう思う。」by広野紘
これは私自身にグサっと痛い所を刺してくる言葉ですね。
少し前まではまさにそんな事を延々とぐだぐだ言いながら何もせず惰性で生きてました。
確かにこの言葉の通り、そんな事を言ってるのは何もしたくなくてだらだらしたいだけの言い訳だったと思います。
考え方ひとつ、捉え方ひとつで人生とか世の中というのは一瞬でつまらなくも見えれば、楽しくて仕方ないものにも見えると思います。
何も面白い事とかしたい事が見つからないならいろいろ探してやってみれば良いだけの事です。
自分が何もする気がなくてだらだらしてるだけで世の中とか人生とかが面白くなる訳ありませんよね。
ほんとにこの言葉の通り、だらだらしたい言い訳なんていってないで、自分から面白い事とかやりたい事を見つけて楽しい充実した人生にしていきたいです。
それでも、たまにはダラダラしちゃうんですが、どうせダラダラするなら罪悪感とか感じないで思いっきりダラダラ出来たらいいなって思います。(思いっきりダラダラって何だ?って感じですが。)
ここまで読んでどうもいただきありがとうございます。
それでは、今日も良い一日を!
何回目か忘れましたが、好きな曲をお勧めするコーナー。
日本ではどうなんだか分かりませんが、海外では人気のロック(?)バンド。Radiohead
聴いてみればすぐにわかると思いますが、この不穏で陰鬱な雰囲気漂う感じ。これが堪らないんですね。
この世界観がハマる人にはハマっちゃうと思うんですよねー。私も中学の時に初めて聞いた時は「何だこの暗い曲は?」と戸惑いしかありませんでしたが、気がついたら何回も聴いているという謎の中毒性。
Radioheadのアルバムは全部持ってる私ですが、中でもこの曲も収録されてる
「OK Computer」は名盤です。気になった人は手に取ってみてはどうでしょうか?
- アーティスト: Radiohead
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穢翼のユースティア カイム 名言 理不尽に対して出来る事
おはようございます!今日はゲーム「穢翼のユースティア」のカイムの名言です。
「泣いても笑っても、理不尽な出来事はこの世から消えない。だから、人に必要なのは理不尽さを受け入れる強さだ。理由も意味も求めない。ただ、目の前の事実を事実として受け入れ、執着しない強さだ。」byカイム
これは確かに真理だと思います。
理不尽な出来事というのは、時に私たちの思惑とは何の関係もなく起こります。
もちろん、起きる事には何かしらの理由はあるのでしょうが、それがとても私たちの手に負えない出来事の時ばかりです。
というか手に負えたらそもそも「理不尽な出来事」とは思わないでしょう。自分の手に負えないから「理不尽」と呼ぶのでしょうね。
まあともかく、そういう理不尽はなんの前触れもなくいきなり降りかかってきたりもするものですが、それに対してなぜ?とかどうして?とか考えても、「単に運が悪かったから」としか言いようがないような事について喚いたり怒ったりしても仕方ないかもしれません。
それで誰か助けてくれればそれも良いかもしれませんが、たいていの場合は誰も助けてくれないでしょうから、自分で対応していかなければならないと思います。
その時に重要になるのが、この言葉にある通り、一番初めにしないと始まらないのが「目の前の事実を受け入れる事」なのでしょうね。
しかし、時には自分で回避出来たかもしれないケースもあるかもしれないので、一応原因は何かは考えた方が良いかもしれませんね。
ここまで読んでどうもいただきありがとうございます。
それでは、今日も良い一日を!
やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。 比企谷八幡 名言 ズレている「らしさ」
おはようございます!今日はアニメ「やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。」の比企谷八幡の名言です。
「『彼女らしさ。』『俺らしさ。』きっと誰かが既定した『自分』をずっと持っていてそれはいつもズレている。『自分達らしくありたい。』けれどその『自分』は一体誰が決めたのだろう?」by比企谷八幡
「自分らしさ」。
この言葉って前向きに使われる事が多いですが、人を縛るような意味に捉えられる事もありませんか?
「それはお前らしくないんじゃない?」とか誰かに言われる事って結構あるパターンだと思います。
仮に言われてる側が私だとして、その誰かの私に対する「らしさ」と私の自分に対する「らしさ」の認識が合っていれば「ああ、そうだな。確かに自分らしくなかった。考え直そう。」みたいに良い感じになると思います。
しかし、それがズレていたりすると、「は?お前に俺の何が分かるんだよ?」みたいにむしろイラっとくる可能性も十分あると思います。
私の場合はそもそも、お前らしいとからしくないとか言われるの自体あんま好きじゃないですし、誰かに対して言う時も「珍しいね。」って言いかたしてます。
別に「らしい、らしくない」を他人の言うのが悪いとは思いませんが、「自分が勝手に思ってるその人らしさ。」を押し付け過ぎるのはウザがられる可能性が高いのであんまりおすすめはしませんね。
しかし、「空の境界」で幹也が式に「君は絶対にそんな事しない」って式にウザがられながらも頑なに式を信じ続けた例だと、最初こそ式にとってもウザいだけだったかもしれませんが、途中からは本当は嬉しかっんでしょうね。式はツンデレなので、あからさまに喜んだりしませんが。。。
しかし、実際にはただウザがれるだけの方が可能性としては高いと思うので、やはりリアルではあんましない方がいい気はしますね。
ここまで読んでどうもいただきありがとうございます。
それでは、今日も良い一日を!