空の境界 蒼崎橙子の名言 空っぽな人間
おはようございます!今日はアニメ「空の境界」の蒼崎橙子さんの名言です。
「伽藍堂だということは、いくらでも詰め込めるということだろ?この幸せ者め、、、それ以上の未来が、一体どこにあるというんだ?」by蒼崎橙子
自分自身を「空っぽな人間だ。」と思った事はあるでしょうか?
私は物心ついた時から少なくとも10年以上は自分自身を「空っぽな人間だ。」と思い続けてきました。
しかし、そんな「空っぽ」である事も考え方によれば素晴らしい事のように思わせてくれる言葉がですね。
私が空の境界の見たときはもう4年ほど前になりますが、当時も私は
「俺は何がしたいんだ?何になりたいんだ?・・・何もないな・・・・俺は空っぽ人間だな。」
といった具合に絶賛悩み中だったわけだが、この言葉が私を救った、というか、悩みを大分軽くしてくれたのは確かな気がしますね。
小6の頃には既に「自分は空っぽな人間」という悩みに取りつかれていましたが、何故そんなに思い悩んでいたのかと言えば、私の周囲の人間は、それぞれ何かしら本気で打ち込めるものを持っていて、(正確に言うと、私にはそう見えたという事。)私にはその
「本気で打ち込める」
何かを持っていなかったからであると思われます。
38度の熱を出して学校を休んでも、FFとかファイアーエンブレムとかRPG、または一人でスマブラをやる根性はありましたが、残念ながら、これらは私に「自分は何かに打ち込んでいる」「自分は何かを持っている」という風には思わせることはできませんでした。
それから、高3になり、エロゲに出会うまでは、とりあえずやる事がないからと色々な音楽を聴きまくったり、本を読んだりドラマを見たり、バイトをしたりしたが、依然として「自分は空っぽ」という感覚は拭う事は出来なかったです。
エロゲに出会い、また、それまで特に見ようとも思わなかったアニメ、二次元の強力な魅力の虜になり、「自分はこれが心から好きだ!」と断言できる何かに出合う事は出来ました。
その時は「自分は空っぽ」という感覚はほとんどなくなったかのように思えたし、実際、大分薄まった気がします。
しかし、確かに好きだといえる趣味は見つかりましたが、「職業」の中で自分がやってみたい事というが見つからないんですよね。ほんのチラッと興味が出る事はたまにあるんですが、「それをずっとやっていきたいのか?」「考えられるデメリットにこんなのがあるけど、それでもやりたいのか?」とか考えると、「いや、そこまででも・・・」みたいな感じで延々と決まらない。。。
しかし、最近は「やりたい事」で絞らないで、
・「自分は何が出来るか?向いているのか?」
・「自分は何をやりたくないのか?」
という観点から考えてみようかなと最近は思ってます。
いつからかそうだったのか最早思い出せませんが、
「仕事」=「夢とか希望にあふれたものであるべし」
的な考えが強くて、「俺のやりたい事は何だ?俺のやりたい事は何だ?」
ってずっと考えてましたが、趣味ではやりたい事一杯あるんだから、仕事に対する考え方はそれぞれ人に合ったものがあるんでしょうが、とりあえずそれでいいんじゃないかって思い始めてます。
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CHAOS;CHILD 宮代拓留 名言 本当はリア充になりたい
おはようございます!今日はゲーム「CHAOS;CHILD」 の宮代拓留の名言です。
「昨今のリア充は、本当の意味で現実は充実しているかどうか。つまり、やりたいことが出来ているかどうかで判断されるんだ。そういう意味で、僕はリア充だ。だから、暇に任せてふざけているあいつらはリア充なんかじゃないんだよ。」by宮代拓留
「リア充」。つまり、リアル(現実)が充実している人間のことを指す言葉ですね。
この言葉そのものと、この言葉の実際に世間での使われ方に疑問を抱いた事はないでしょうか?
私も高3の受験シーズン、エロゲにドハマりしている時に、まったく同じような疑問を抱いた事があります。
「なんで彼女がいるヤツとかモテるヤツが『リア充』なんだ?現実生活が充実がしているかどうかなんてのは本人にしか分からない事だし、何がその人にとっての『充実』かなんてのは人それぞれだろう?そう考えれば、最高に面白いエロゲをやりまくっているという俺のリアルは充実していると言える。だったら俺もリア充じゃないか。」
そう本気で思っていたし、思い返してみても、それはそれで、当時の私にとっては正しかった気もします。
しかし、アニメとかゲームとかどんなに楽しい娯楽に浸っていても、
・可愛い子とイチャイチャしたい
・可愛い子に告られたい
・可愛い子と素晴らしい恋愛がしたい
といった異性に対する欲求は学生時代を終えて、数年経った今も消えてはいない。それはそれ、これはこれという感じなんですよね。
宮代拓留や私のように、「リア充」という言葉自体にならあれこれこじつけて「彼女なんていなくても俺だってリア充だしっ!」とかいう事は出来ます。
ただ、重要なのは、「リア充という言葉の使い方がおかしい」とかそんな事ではなく、ほぼ全ての男は「可愛い事と〇〇したい」という欲望、というかもう欲求と言ってもいい気がするが、そんなものを程度の違いはあれ、持っているという事でしょう。
実際に付き合ってみれば、何かとめんどくさいとかいう話はあるが、可愛い子と付き合った事もない人間から見れば、「可愛い子と付き合っている」という事実があるだけで嫉妬の対象であり、俗に言う「リア充爆発しろ!」という風になるものです。
「リア充」=異性との付き合いがある
というようなイメージが出来上がったのは、人がそれほどに心底、異性との恋愛を求めているという証拠な気がします。
学園・純愛・ハーレムものといったエロゲやアニメが10年以上前から作られ続け、それのジャンルが今も変わらず需要があるという事ももしかしたらそういう事なのではと思う。
私自身、そういうアニメやエロゲは大好きだし、そういうものを通して
「あー、俺もそんな生活が送りたい(かった)んだよ。」
と、これでもかという程の「リア充」である主人公の日常生活を通して、「リア充」への憧れを新たにしているという自覚があります。
ちなみに、良質なリア充の疑似体験がしたいなら、エロゲなら「D.C.Ⅱ」という作品がおすすめなので、興味ある人は以下のページで感想書いてるんで良かったどうぞ。
美少女たちが私(主人公)を巡って泣いたり笑ったり怒ったり争ったりする様は実に圧巻である。シナリオ自体も良いし、疑似体験とはいえ、非常にクルものがあります。
私的には王道学園ものの最高峰のエロゲと言える。ここまでプレイしていて幸福感を感じられる作品は中々ない気がすますね。
まあ、つまり私はいつだって「リア充」になりたいわけだが、悲しい事だが、顔が良い訳でもスポーツとか特技があるわけでもない男には、ほっといても可愛い子が寄ってくるなんて事はまずありえないものです。
なので、それを得たいなら行動あるのみなんですが、気が乗らないんで正直今はそっち方面の努力はしてないんですが・・・いつかは誰か可愛くて性格良い子と結婚を前提にお付き合いというまさかのチャンスが来たら掴めるように、まずは何より自分を高めたいと思います。
きっと、澄みわたる朝色よりも、 与神ひよの名言 思い込みで人は幸せになれる
おはようございます!今日はゲーム「きっと、澄みわたる朝色よりも、」の与神ひよの名言です。
「思い込みで人は幸せになれますわよ? 」by与神ひよ
たまに思うのですが、どんな人間であれ、何かしらを知らないうちに思い込んで、それを何年も積み重ねてきて、それぞれの強固な思い込みとか固定観念というものを構築しているのではないでしょうか。
私はこの言葉は確かに1つの真理であると思います。しかし、幸せにもなる事も出来るが、同時に思い込みによっては不幸になる事も十分ありえます。
というか、勘だがどちらかと言えば、思い込みによって不幸になっている人の方が多いのではないかと思います。
これは実体験から思うのですが、思い込みには非常に強力な力があり、それは実際に自分の身体に影響を与える事は確かにありえる。
私は中学生ぐらいから、「自分はハゲる」という非常に強い強迫観念のようなものを抱え続けてきました。
風呂でシャワーを浴びて、シャンプーをし、自分の髪の毛が抜けるのを見るたびに
「おいおい今何本抜けたよこれ?抜けすぎじゃないかのか?いやいや気のせい気のせい。大丈夫だって。。。あれ?でも俺のデコこんな広かったっけ?なんかベジータみたいになってきてないか・・・?いやいや気のせいだって。元からこういう形だったんだって。。。ん?・・・なんかつむじの所地肌見えすぎじゃないか・・・?いやいや、俺つむじ二つだし、そういう形なだけだって。ただの個性個性、大丈夫大丈夫・・・あれ?でもやっぱり・・・・・」
というような感じで全く持って非生産的かつ考えても何の意味もないような事をぐるぐる延々と考え続けてました。
そして、結果は20代前半にして「大丈夫大丈夫!気のせい気のせい!」と苦しい言い訳が出来なくなり、「ならいっそ・・・」とスキンヘッドになりました。結果として、ちょっと時間はかかりましたが、私は幸せになりました。「髪の毛なんてなくても・・・いやむしろ、無い方が幸せだ。」今は完全にそう思い込んでいますね。
数十年、ひたすら「自分はハゲる」というマイナスの思い込みを繰り返してきた結果、「ハゲ」を受け入れるにはいささか辛い年齢にして悲しくも実現してしまいました。
何故、そんな事を思い込んでわざわざ私は自分から自分を不幸にしてしまったのかを振り返ってみると、原因とか理由とか考えても全く思いつかないというのが正直な所です。
いつからか、気がついたら私はそんな事を繰り返し考えずにはいられなくなってしまってました。
「ハゲるかどうかなんて事を考えていても仕方が無い。もう止めよう。」
とも何度も考えたが、そう考えている時点でまた「ハゲる」事について考えている自分を自覚してなんかもうどうしもうなかったですね。
そんな感じで、私は風呂で頭を洗うたびにそんな「ハゲ」という思考に取り付かれ、スキンヘッドになるまではその思考から逃れる事が出来ませんでした。
「ハゲる」という呪いを自分で自分に毎日毎日かけ続け、見事それを達成してしまった訳です。
家族の中で兄はむろん、父親でさえまだハゲてきたかどうか分からないというぐらいなのに、私だけイってしまったのはやはりそういう事なのではないかと思います。
しかし、これは思い込みがマイナス要素に働いた一例だが、もちろんプラスに働いた事も多々あると自覚しています。
私は普段から何に対してもそうですが、
「大丈夫、その気になんとかなる!俺はやれば出来る子だ!」
と自分でもなんで断言してしまう程にそう思えるのかは今でも分からないが、この思い込みには全くブレがない。
そう思い込んでいると、どういうわけか、「出来る子になるまで行動する」という行動も自然と取れるのである。
実際に、「落ちたくない。」と思った大学受験や就職試験、資格試験などのペーパーテストでは失敗した事はないです。これはちょっとした自慢です。
自覚はないですが、高校受験の時に、内申点が学年中最低の中、当時好きだった子を追っかけるためだけに毎日10時間以上の勉強をし、無事望みの進学校に入学が出来たという経験が
「自分はやれば出来る」
という強固な思い込みの原材料みたいなものなのかもしれません。ともかく、この思い込みが大きなエネルギーとなり私の行動に及ぼしている影響は非常に大きいと思われます。
「思い込みに理由はいらないよ。根拠がなくともそう思い込んでしまったのなら、それはその人間にとって絶対だ。」
これは依然紹介した同じ作品の樫春告というキャラの言葉です。
心底そう思います。後者の「自分はやればできる」の思い込みについては、「根本はあれかなぁ。」というある程度の予想はありますが、前者のハゲの思い込みについてはその根拠が全くもって思いつきません。
しかし、思い込んでしまっている以上、どちらも私にとっては絶対的と思える程に影響を与えていたように思えますし、実際にその思考は現実化しました。
その思い込みがプラスに働いているようなら、そのままでいいかもしれなませんが、マイナスに働いていると思える思い込みを抱えているなら、何かしら対策を打った方がいいのかもしれません。
といっても、その具体的な方法は良く分からないし、実際にそうした経験も私にはない。人に聞いた話では、
「別の情報を繰り返し自分に言い聞かせ思い込みを塗り替えればいい」
なるほど確かにそれしかないのかなという感じですが、これは相当意識しないと難しいでしょうね。
自分がどんな思い込みを抱えているかを把握するのも簡単ではないかもしれないが、それを把握して自分の思い込みとどう付き合っていくべきかを考える事は非常に大切な事なのではないでしょうか。
ここまで読んで頂きありがとうございます!
それでは今日も良い一日を!
やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。 比企谷八幡 名言 勝手に期待して勝手に失望する
おはようございます!今日はアニメ「やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。」の比企谷八幡の名言です。
「勝手に期待して、勝手に理想を押し付けて、勝手に理解した気になって、そして勝手に失望する・・・何度も何度も戒めたのに、それでも結局治っていない・・・雪ノ下雪乃ですら嘘を吐く。。。そんな当たり前の事を許容出来ない自分が・・・俺は・・・嫌いだ。。。」by比企谷八幡
「勝手に期待して勝手に失望する」
これは意識的しろ、無意識的にしろ、他人と関わって生きている以上、一生ついて回る苦しみなのではないでしょうか。
誰かと関わっているのに、誰に対しても1ミリも何も期待していないとしたら、それはとてつもない孤独でしょう。
「期待してない」という事はつまり、「どうでもいい」と同義です。
だから、誰に対しても全く期待していないという事は自分以外の全ての人間が完全にどうでもいいという事です。(なんか言ってみて、自分は割とそれに近いことに気が付いてしまいました。。。)
しかし、実際に大半の人が、私は自分以外の大多数の他人に興味関心があり、また期待をしているかと言えば、そんな事はないと思います。
顔も名前も知らない、会ったこともない人間に対し、興味関心を抱くのは難しいし、興味関心が無いなら期待なんてものも出てくる訳がないですね。
ニュースとかでどっかの誰かが死んだとか、こんな悲惨な事があったとかいうのを聞いても、「世も末だな。」とか「俺はこんな目に遭いたくないな。」とか思うだけで、その都度悲しんだりするんなんて事はないです。
私にとっては、私以外のほとんどの人間はどうでもいいという事になんでしょう。
しかし、私は家族の事は心底大切に思っているし、極少数の友人(と少なくとも私は思っている)も大切に思っているし、素晴らしいビジュアルノベルやアニメ、音楽を創り出すクリエイターの皆さんの事も大切というか、素晴らしい人たちだと思っているつもりだし、こんな記事を読んでくれているあなたにも確かに感謝しています。
自分の感情や損得勘定というものが、基本的に私を行動に移させる最大の要因であるとは思いますが、時には、理屈抜きに誰かに興味を抱いたり期待してしまうなんてこともあります。
一見、自分よりも他人を大事にしているように見える行動。人をそうさせるものは何かといえば、俗に言う「愛」というやつだと思います。
ちなみに、私のここでの「愛」の解釈は「人を想う気持ち」です。
だから、誰かがいて、その誰かに対し、興味関心がとか期待とかがあるのなら、それはつまり少なからずそこには愛があるという事になる。
ちなみに、私が思うに、「興味関心」を抱けば何かしら「期待」は生まれると思うので=にしてしまってもいいと思っていたりします。
まとめると「期待とは愛である。」というような事を言いたいわけで、↑で八幡は勝手に期待をして勝手に失望する自分を嫌っているが、これはつまりそこに愛がる事の証明でもあり、素晴らしい事なのでしょうね。
しかし、八幡のように、「勝手に期待をして勝手に失望する自分が嫌い」という風に、私もそうですが「誰かに期待している自分」を自覚している場合、「俺の期待に応えれないお前はダメだ。」ではなく、「勝手に期待して、勝手に失望」と言っているように「自分の身勝手さ」も自覚してしまう為、行きつくところが自己嫌悪になってしまいがちです。
しかし、「期待」には「失望」はどうしてもついて回ってしまうものだと私は思います。ですから、どうすればいいかと言うと
期待→失望→自己嫌悪
ではなく
期待→失望→割り切る
という方向にするしかないと私は考える。期待して、その通りにならなければどうしても失望は出てきます。
しかし、その後に自己嫌悪するのではく、「こういう事もある。」とすっぱり割り切るようにする事こそが唯一の対策ではないでしょうか。
何せ、他人の頭の中なんてのは自分には分かる訳もない訳が分からないものなのだから、自分が期待した通りにならなくても仕方が無い。
そう思うようにする事こそが、いつまでも期待と失望を繰り返す人間のより良く生きる方法なのではないかと思うのです。
ここまで読んで頂きありがとうございます!
今日も良い一日を!
さくら荘のペットな彼女 千石千尋 名言 1番じゃなければダメなんて事はない
おはようございます!今日はアニメ「さくら荘のペットな彼女」の千石千尋の名言です。
「自分が理想とする一番良い形だけしか認められない人間になると、自分も周りも不幸にするってこと。」by千石千尋
誰しもそうだと思いますが、自分の生き方とか人生について、それが具体的であるにしろ、抽象的なものにしろ「こんな風にしたいなあ。なりたいなあ。」という所謂、夢とか理想とかを持っているはずです。
「夢を叶える」「夢を追い続ける」
これは確かに素晴らしい事であると思うし、私もまだ現在進行中で夢みたいなものを追っている、というか探しているつもりです。
しかし、↑の言葉にあるように、最初に自分のやりたい事、なりたいものなどを決めたとして、それが何の問題もなく順調に進み、無事にその夢や理想を叶える事が出来てしまう人なんてのはごく稀なのではないでしょうか。
実力はもちろん、そこそこ運もなければそんな風にいきなり上手くなんてのはそうそうありえない事にように思えます。
夢や理想が潰えるなんて事は、夢が叶う、理想が実現するなんて事よりも数十、百倍よくある事なのではないかと思います。
だからこそ、第2希望、第3希望という感じで次善の策を考えておく事は大切になるでしょう。
私は数年前まで、一つの夢とか理想というものに固執し過ぎていたように今では思えます。
私は自分なりに将来について考えてましたたが、本当にやりたい事もなりたいものも思い浮かばなかったんですよね。
だからなのか、私は「とりあえず働かないで楽して稼いで楽して生きたいな。」と真面目に思いました。
調べれみれば実際にそんな風に生きている人はいるようで、その方法も沢山あるようで、「よっしゃ!俺もやるぜ!」という感じで始めたが、色々な情報教材と呼ばれる稼ぐ方法を教えてくれるものを買いまくって色々やっているうちに2年程が経ち、私は短期間で少なくとも100万円以上を失いました。
もう少しはやく気が付いていれば、現在の貯金の残高がここまで悲しい事にはならなかった気もしますが、1年ほど前にようやく「もうダメだ。働こう。」となり、「働く」という事を前提に自分のやりたいもの、なりたいものを、いろいろ始めたり辞めたりしながら探し続けて今に至ってます。(未だに分かりませんが。)
今の仕事にしろ、今後する仕事についても、自分の夢や理想を100%実現できるのか言えば、全然そんな事はないでしょう。
自分の理想と現実とを照らし合わせた時に、「最善」と思えた仕事が今の仕事になってるんですが、「本当にそうか?」とか思い始めてるあたり我ながらどうしようもないですね。。。
「絶対にこうなりたい!」
なんてものは今は残念ながら、持ってないんですが、そういうのが見つかったとしても、次善の策と言うのは常に考えておきたいものです。
人生、何事も起こってしまえばそれまでですからね。。。
ここまで読んで頂きありがとうございます!
それでは今日も良い一日を!
PSYCHO-PASS 常守朱 名言 ネットとの付き合い方
おはようございます!今日はアニメ「PSYCHO-PASS」の常守朱さんの名言です。
「ネットって、物を調理するための刃物とか、記録するための紙とか、そういうレベルのものじゃないですかね?良い悪いじゃない・・・そこにあるんだから受け入れる・・・使うっていう。。。」by常守朱
これかっこいいですよね。静かなところ、盛り上がるところ、緩急があって良いです。EGOIST良い曲多いですけど、カッコいい系だと一番ですかね。
カラオケ行くと、例のとこだけ声裏返さないとでない。
蒼の彼方のフォーリズム 倉科明日香の名言 前を向けばどうにかなる
おはようございます!今日はゲーム「蒼の彼方のフォーリズム」の倉科明日香の名言です。
「上を向くこと頑張り続けること、元気でいること。そして好きなものに真っ直ぐであること。それを続けている限り、わたしの欠点なんて、どうにかなるって、わかったんです。」by倉科明日香
あっちへフラフラこっちへフラフラとしてきた私にはあまりにも真っ直ぐで眩しすぎる言葉ですね。
しかし、だからこそなのか、私はこの言葉が言うようなあり方にずっと憧れを抱かずにはいられません。
私は確かにフラフラしてきました。しかし、自ら望んでフラフラしてきた訳ではないんです。
振り返ってみれば確かにフラフラも良い所だが、私はその時々は真っ直ぐに歩こうとしてきたつもりだったんです。
しかし、その道で壁にぶち当たるか、もしくは途中で「他の道の方が自分には良いのではないか?」という気持ちが生まれたりと、結果的に1つの事を続けるという事が出来ずにきた結果が今です。
趣味に関しては好きな物というのは結構前からはっきりしていても、こと「仕事選び」となるとこれが本当に決められない。
「好きなものに真っ直ぐであること。」
私はここでいう「好きなもの」。つまり、「自分が真っ直ぐに向かい合いたいと思うもの」。これをここ数年間、模索してきたように思います。
少し前まで私は「好きなことを仕事にすればいい。」と単純に考えてましたが、どうそれに関わるかというのは本当にいろいろあるんですよね。
「その中でどれするの?」って考えても、正直わからないし、そもそも好きな物を扱っている仕事だとしても、自分の業務自体が好きなものとも限らないし、プライベート時間を犠牲にしてまで「その好きな仕事を好きでいられるのか?」とか考えると、そもそも「好きを仕事にする」って考え自体、やめた方がいいような気がしてきます。
実際、私の好きな物を扱っている仕事をしてみた事がありますが、その業務自体もそうですし、そこで仕事している人達のあまりの「扱っている商品への愛のなさ」とか感じてしまって、その環境が苦痛過ぎて1月持たずに辞めた後はほんと、そう思っちゃいますね。
好きなもの=プライベートで楽しむもの
仕事=金を得るための手段
って割り切ればよいのかもしれませんが、「割り切っちゃっていいのかなぁ。」とも思うっていう、我ながら優柔不断。
「若いときはいろいろチャレンジするべし。」的な風潮ありますし、まあそうだなと思うんで、何かチャレンジしようかなとか思うんですが、「何に?」ってところなんですよね。。。
多分ですが、誰だって本当は「上を向いて真っ直ぐに頑張り続けたい。」のではないでしょうか。
頑張れない人というのは、頑張りたいもの、頑張り方、頑張る場所、これらが見つからないだけではないのではないでしょうか?
我ながら、書いてて社会に適応できないヘタレの言い訳のようにも聞こえるし「まるっきり自分自身の事じゃねえか。」と思うのですが、それにしたって「上を向いて真っ直ぐに頑張り続ける人」をやってればどうにでもなる気はしますね。
ここまで読んでいただきありがとうございます!
それでは今日も良い一日を!