ちょっと考える

名言とか、「~とは?」とかちょっと考えるブログです。

このブログについて

「習慣」

 

 

人それぞれでいろいろな習慣があるが、私は放っておくと

 

「『この皿にくっついてるネギとあの客の腹の中に収まったネギの違いは何だろう?』ネギの存在意義が人間に食べられる事だとしたら、味は全く同じのはずなのに、存在意義を全うしたネギとそれが出来なかったネギ・・・それを選別しているのは私達人間で、その選別には何の意思も介在しておらず、『たまたま』そうなったに過ぎない。それはまるで、今日どこかでたまたまある人は死んで、たまたま俺は今日も生きている事と同じではないか。。。」

 

って飲食店で他の客の食べ終わった食器を見た時に考えたり。

 

 

とか

 

 

「俺の股間に付いているこれは本当に俺の一部と言えるのだろうか?俺の意思とは何の関係も無しに『出したい出したい』と主張するこいつ。さっきまでは他の有意義な事をしようと考えていた俺の意思を易々と砕き俺を屈服させるこいつ。腕も足も口も頭も俺の思い通りに動くのに(脳については何とも言えないのだが。)、なぜかこいつだけは俺の意思でコントロールする事が出来ない。たまに少しは出来ているのかもしれないが、それでも、大抵奴の要求に、時には嬉々として屈服する俺がいる。そもそもの認識が間違いで、『俺に付属しているこいつ』ではなく『こいつに付属している俺』の方が正しいのではないか・・・それはつまり、『俺という人間はこいつに支配されているともいえるのではないか・・・?』」

 

って欲望のままに白いの出した時にふっと考えたり、

 

 

などと、下らないことばかり考えてしまう。しかし、考えてしまうものは仕方ない。ただ考えるだけよりも、文章にすることで、より「考えた感」を得る事が出来る。なので、私が普段から蒐集している名言や、ふと考える「~とは?」とかある程度指向性を持たせて物を考えようというのがこのブログ意義と言う事にしたいと思う。

 

 

 

ちなみに、「何で考えないといけないの?」と言われると、昔見たなんかの映画で

 

 

「溜まったクソは出さなきゃいけない。」

 

 

って言ってたんですが、そういう事。考えてないと溜まるから頭から出す。こんな感じでもあるし、とりあえず考えずにはいられないので考える。のだと思う。

コードギアス 反逆のルルーシュ シュナイゼル 名言  既存の価値観に囚われるのは悪くない

 シュナイゼル殿下はこう言っている。

 

「人の本質とはね、何かに支配されたいということなんだよ。」byシュナイゼル

 

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学生時代にこのアニメを見たと時に聞いた時、つまり「自由である事とはどういう事か?」をろくに考えもせずとりあえず「自由」というのは素晴らしい事であり、響きが良いその言葉に酔っていた頃は、「そんな事はない!人間はもっと自由なそんざいだ!」というような感じで、彼の言ってる事は理解できなかったうえに、反対していた私だが、6年程経った今なら彼のこの言葉はどうしようもなく真実である気がしてならない。

 

 

 

 

 

しみじみと人生を振り返るような年齢でもないと思うが、振り返ってみると、私は元々若者らしいエネルギーが平均よりも大分少なかったような気はする。

 

 

 

勉強とかスポーツとかは私たち学生(当時の)にとっては絶対的とすら言えるステータスだったような気はするし、それに自分がある程度支配されている事は自覚していたし、他人に負けると「うぜえ。」とか思う事もあるし、勝てば「俺は他の奴らよりも優れている」なんて風に下らない優越感に浸る事もあった。

 

 

 

しかし、どうもそれに支配されきれなかったというか、「うぜえ」とか「俺すげえ。」とか思ったとしても、その悔しさとか、優越感に浸り続けたいとはならなかったのだ。

 

 

それに連続で支配されたとしても、長くて1日、はやいと、「うぜえ」とか「俺すげえ」とか思ったすぐ後に、「だから、なんなんだ・・・?うわぁ、俺下らねえ。。。」て直前の自分を思い返して軽く自分の下らなさに自己嫌悪したりすることが多かった。

 

 

 

かといって、それらを下らないといいながら、「では自分にとって何が下らなくないのか・・・?」と考えると、また答えがでないのである。そして、さらに自分の下らなさに絶望するのである。

 

 

流石にもうそんな負のスパイラルに陥る事はなくなったが、学生時代は常にこんな感じであった。

 

 

今更だから思うが、学生にとって、学校が世界の全て、またはほとんどである以上、テストの点数だとか、スポーツの成績だとか、そういう共通の価値基準に支配されていた方が充実して過ごせる気はする。

 

 

 

 

今までさんざん、「自分とは何か?」「自分は何がしたいのか?」と自分の内側から、アイデンティティーを確立しようとし、それが一番良いあり方だと考えてきた私だが、既存の価値観に支配されず、何から何まで自分の内側からアイデンティティーの確立とか自分らしさとかそういうものを構築するのも中々大変ではある気がする。

 

 

 

学生なら先ほど言った勉強とかスポーツ、社会人なら学歴だとか資格だとか収入、そういう実際に数字とか形のあるものは「自分はこれだけの価値がある」と思わせてくれる。

 

 

こういう既存の価値観に染まる事を2,3年前の私なら良しとせず、その価値観に染まりそうな自分を感じる度に、「これは良くない」と自分を責めてきた。

 

 

しかし、それらの既存の価値観に支配され、行動し続けられることは「若さの象徴」とも言えるのではないかと最近私は思うのだ。

 

 

突き詰めれば突き詰める程わけのわからないこの世界において、「勝つと嬉しいから」「数字が多いと嬉しいから」そんな単純な価値観に支配され続け、行動し続けるというような若さは私が年齢、見た目ともおっさんになっても、より充実した人生を送るには不可欠な事ではないかと思うのだ。

 

 

 

そういう価値観を学生時代の「それがなんなんだ。」「どうでもいい・・・」と悲観的に捉えてしまっていたことこそ、精神的におっさんというか、老けていた気がしてならない。

 

 

 

既存の価値観だけに染まってしまうのもどうかとは思うが、今後は、既存の価値観に染まっている自分を自覚したとしても、それを前向きに、肯定的に捉える様にしていきたいと思う。

 

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やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。 比企谷八幡 名言 逃げちゃダメなんてことはない

今日の名言は「やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。」の比企谷八幡の名言です。

 

「『逃げちゃダメ。』なんて、強者の考え方でしかない。いつも自分が悪いなんて事はない。社会が、世の中が、周囲が、誰かが間違っている事だってたくさんある。『自分は変えられる。』なんてのはそのゴミみたいな冷淡で残酷な世界に順応して、負けを認めて隷属する行為だ。綺麗な言葉で飾って自分すらだましている欺瞞に過ぎない。」by比企谷八幡

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これを聞いた時、私は「~誰かが間違っている事だってたくさんある。」まではすんなり理解出来たのだが、そこから後は、「ん?何言ってんだこれ?」とちょっとよく理解できなかった。

 

 

前半の方は言葉の通り理解すればいいはずだ。よく言うのは「逃げるな。」「逃げたってどうにもならない。」とかだ。

 

 

「ぐだぐだと不平不満を言って逃げていても仕方がないから、頑張って逃げずに立ち向かえ。」

 

という考えはよく言われるだけあって正論だと私も思うし、言っている比企谷自身、そんな事は分かっているだろう。

 

 

 

どう考えても、「え、なんでこれが俺のせいなの?俺が悪いの?」なんてケースはよくある事だ。

 

 

 

例えば、私の経験談だが、当時私が飲食店で働いていた時の事だ。

 

 

客からサワーの注文が入り、滅多に入らないメニューでしかも、「ちょっと〇〇な感じでお願い。」という感じでめんどくさい注文もつけられ、正直に「分からないな。」と思った私は店長に

 

「お客さんからサワーの注文で〇〇なんですけどどうすればいいですか?」

 

と聞きいったが、何やら熱心に壁を掃除しており、「んー、〇〇して。」とこちらもみないで適当に返事を返し、私が「えーと、じゃあ、〇〇なようにすればいいですね。」と確認し、「あー、うん、そうそう。」とまたもやこちらも見ないで適当な返事を返され、そして私は一抹の不安を抱えながらも、他の仕事も溜まっているため言われたとおりにしてみた。

 

 

 

結果としては、客には文句を言われ、戻ってそれを報告すれば今度は店長に怒られるという結末に終わった。

 

 

しかも、「間違えたんだからちゃんと俺に謝れ」と店長に言われ、軽くイラッときた私は「俺ちゃんと店長に確認もしましたよね?これ俺が悪いんですかね?」と反抗し、まあ、関係は悪化した。。。

 

 

 

今、思い返しても、あの時の自分が完全に悪かったとは思えないが、それでも、

 

客<店長<店員である私

 

という力関係がある以上、「この中で悪いのは誰という事になるか?」といえば、形としては「私が悪い」という事に落ち着くのである。(私がどう考えても「店長がわるいだろ」と思ったとしてもだ)

 

 

しかし、私が反省しようと思っても、「あの時はあれが最善であり、自分が悪かったとは思えない」と思っている以上、これは先の名言における、

 

「いつも自分が悪いなんて事はない。社会が、世の中が、周囲が、誰かが間違っている事だってたくさんある。」

 

これに当てはまる事になるだろう。

 

 

 

次の「自分は変えられる」というのは、おそらく、言葉で言えば「逃げない」とか「受け入れる」とか、言葉通り「自分の努力で他人や社会を変えられると思う」事とかじゃないかと思う。

 

 

 

先の私の例でいうと、理不尽だと思うのに自分のせいにされ「謝れ」と謝罪を要求された時、自分の無実、正当性を誠心誠意主張し、さらには店長に己の過ちを認めさせ、

 

 

「うん、うん、そうだね。俺が悪かったよ!ほんとうにごめんな!」

 

 

とでも言わせられれば、「世の中の理不尽に逃げずに立ち向かい、見事に勝った。」と言えるのかもしれない。

 

 

 

しかしもし100回やり直せるとしても、100回中100回それを失敗する自信があるし、どうすれば説得できるかなんて思いつかないし、そもそもそうしたいとすら思えない。「あぁ!?何言ったんだ。お前が悪いんだろうーが!」とさらに当たりが強くなる未来しか想像できない。

 

 

決めつけにかかっていてさらに立場が上の人間に下の人間が何か言おうと、状況は良くなるどころか悪くしかならないだろう。

 

 

ならば、イラつきを抑えて「すみませんでした。」と要求に答えて、謝罪をすればよかったか?

 

 

今後もその職場で続けていくつもりなら謝罪をした方が利口だし、多くの人はそうするだろう。

 

 

しかし、そうやって、我慢する事も、または、その理不尽さを受け入れて、自分の行動で自分が間違っていると思う他人や社会を変えようとする事も、比企谷が言う所の、

 

「そのゴミみたいな冷淡で残酷な世界に順応して、負けを認めて隷属する行為だ。綺麗な言葉で飾って自分すらだましている欺瞞に過ぎない。」

 

のだと思う。ちなみにこのゴミみたいな冷淡で残酷な世界」というのは「自分ではなく、社会や世界が悪いのに自分が悪い事にされる世界」という事だろう。

 

 

確かに、比企谷の言う通り、「自分が悪い事にされた」という事を受け入れた時点で世界に順応して、負けを認めて隷属する行為というのはそうなのかもしれないと私も思う。

 

 

 

「言いたい事はわかったけど、んで?文句言ってどうすんの?」

 

 

という事だが、比企谷はそもそも文句は言っても、問題の解決などする気が無いのだ。彼がするのは

 

「問題から一時的に逃げる事、先送りにする事、とりあえずの問題を解消」

 

である。作中、彼は彼ならではの捻くれた価値観から他の人では思いつかないような方法で、問題の解消、先送りを成功させる。

 

 

友情・努力・勝利」というような「王道」を行く数々の主人公の中、自分で言っているが彼は「卑屈・悪知恵・個人プレー」で「斜め道」を一人で歩いているような感じだ。

 

 

彼の活躍の数々を見ていると、逃げる事や問題の先送り、誰かと協力しない個人プレーといった一般的に良くないとされる事柄が必ずしも悪い事ではないと思わせてくれるから不思議である。

 

 

ここまで読んでくれてどうもありがとうございます。

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サクラノ詩  草薙直哉の名言 弱気と慎重 勇気と蛮勇

今日の名言はサクラノ詩の「草薙直哉」の名言です。

 

 

「いつだって決断する時はそうだ、足が震える。その一歩を踏み出せない様な気がする。だからこそ、俺はいつだって踏み出すんだよ。そうすれば、震えは止まるのだから。」by草薙直哉

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「ビビってしまいました。どうすればいいですか?」

 

「うるせぇ!グダグダ言ってねえでやれや!」

 

 

こういう事ですな。

 

 

何かやってみたいと思ってる事はあるんだけど、「ホントにそれでいいのか?」「これで上手くいくのか?」「失敗したらどうする?」とか弱腰になって第一歩を踏み出す事が出来ない。

 

 

記憶にないだけかもしれんが、私にはあんまそういう状況に陥った事がない気がする。

 

 

どちらかというと「あ、これやりたいかも」と思った時にはもうやってるというか、考え始めた時には既に第一歩を踏み出していて、踏み出して少したってから「あ、やっぱ違うかも。」とか言って、「あ、やっぱあれかな。」って考えたらすぐにまた踏み出して「うーん、なーんかなぁ・・・」とか言っちゃうタイプ。

 

 

前に派遣で工場で働いてた時に、周りのおっさんで

 

おっさん「ここでお金貯めていつか自分の店持ちたい」

 

とか言っておきながら、

 

私「へー、凄いじゃないっすか?結構貯まったんすか?」

 

 

って聞くと、

 

おっさん「いや、全然貯まってない。」

 

私「へー・・・そうなんすか。(は・・・?)」

 

 

まあ、話聞いてると、「お金貯めていつか自分の店持ちたい」っていう目標を持ってる俺は周りのずっと派遣ループしてる奴等とは違うって思いたかった感じですかね。自分は周りのやつらとは違うんだ的なことけっこうアピッてきましたし。

 

 

年齢も30歳前後という、勝負に出るならそろそろラストチャンス、だけれども失敗したら後が無いから踏み出すのが怖くて、意識的なのか無意識的なのかは知らんが、「お金を貯める」事に消極的になる。そうすれば先延ばしできるから。

 

 

おっさんの身になって考えてみると、分からなくもないんですけど、

 

 

「うだうだ言ってねえでさっさと必要な金貯めて店でもなんでも始めればいいじゃん。どうせ失敗するなら失敗するし。成功すんなら成功すんだろ」

 

 

って思ったもんですが、まあ、私も冷静にその人のことなんか分析してないで自分の事考えろって感じなんですよね。自分で言うのもあれですけど。

 

 

簡単に言えば、そのおっさんは「弱気」私は「蛮勇」と言えるのでしょうね。

 

 

 

誰かが「弱気と慎重」「勇気と蛮勇」は紙一重みたいな事言ってた気がしますが、確かにタイプ的に私は後者であり、おっさんは前者だったのかもしれない。

 

 

こう4つの言葉を並べてみると「中庸が一番」ってのはほんとその通りなんだなって分かる。

 

 

弱気はただのヘタレと言えるし、蛮勇はただのバカとも言えるだろう。

 

 

私に今必要なのは「慎重」であり、おっさんに必要なのは「勇気」なのだろう。

 

 

 

ここまで読んでくれた事感謝します。

 

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※今度からその日の気分で口調変わったりします。特に理由はありません。

fate/staynight 遠坂凜の名言 図星を突かれるとキレる

 おはようございます!今日はゲーム「fate/staynight」の遠坂凜の名言です。

 

 

 

「人間ってのは、本当のこを言われると怒ると思うのよ。」by遠坂凜

 

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いつだか、私の元に変な業者っぽい所から一通のメールが届いた。私はそのメールを開けていません。

 

 

にも関わらず、そのメールは私を瞬間的にイラッとさせ、「うっせバカっ!」と思わず声を出させました。

 

 

そのメールのタイトルはこうでした。

 

 

「髪の毛で悩んでませんか??」

 

 

このタイトル自体、特別向うに悪意があったとは思いません。

 

 

 

私が何故、思わず声を荒げてしまう程にイラッと来てしまったのか?

 

 

それは、「髪の毛で悩んでませんか??」という質問に対する私の答えがどうしようもなくYESだからです。

 

 

 

私は今日、このメールが来るまでは、その件についてはある程度克服したつもりでいた。何せ、もう始まったのはその1年も前の話です。

 

 

「うん、ハゲだけど。それがなに?」くらいの気持ちになれていたつもりでした。

 

 

だが、どうやら違ったようで。こうもストレートに髪の毛の話題をぶつけられると理性ではどうしようもない位にイラッときてしまったのです。

 

 

 

スキンヘッドにする事で悩みの多くは吹っ飛んだのは事実だと思います。

がしかし、20代前半で、「自分はハゲである。」という事実を正面から受け止め、「それがどうした?」と悟りを開けるような境地に達するのはまだできていなかったのかもしれない。(しかし、今の私はそれに近づいていると思う)

 

 

 

たかがメールの一文だけでもここまでイラつくし、親に「〇〇は髪の毛にいいみたいだよ。」とか言われても

 

「え?何それ俺の髪の毛の事に対して言ってんの?それ一杯食って髪の毛増やせばいいじゃん。ってか?」

 

と言う感じで何でも自分の髪の毛についてネガティブというか、卑屈に受け取ってしまうのです。

 

 

 

私たちが生きている現実は実に世知辛いし、見たくも聞きたくもない事実がいくらでもあります。私のコンプレックスだって他にもいくつかあります。

 

 

現実、事実をしっかり見据えて受け止める事はもちろん非常に大切だが、出来ればずっと目を逸らしていたい事実だってあるし、誰かに迷惑をかけないなら目を逸らしていたって構わないはずです。

 

 

 

私がいつになったら、「自分はハゲである」という事実をしっかり受け止め、「それがどうした。」と完全に悟りを開けるようになれるかは分かりません。

 

 

 

「髪の毛」「ハゲ」これらのワードが私にとっての地雷なら、人それぞれで様々な地雷を持っているでしょう。1回くらいなら地雷を踏んでしまうのも仕方ないかもしれないが、身体的特徴などその人にとって、自力でどうしようもないような事は軽々と口にすべきではないはずです。

 

 

そう考えると、小学生の時の周りに流されて何も考えずにそのような事を軽々と口にしていて自分が愚かしくて恥ずかしいです。

 

 

「本当の事を言われると怒る」

 

 

きっと大抵の人はその「本当の事」というのは自分自身が最も自覚しているからこそ、人に言われると「怒る」のではないでしょうか。

 

 

「お前って〇〇じゃね?」

 

そう言って、もし相手が怒ったら、それはきっとその人の踏んでほしくない地雷です。1回は仕方ないにして、2回も3回も無闇に掘り起こさないでくださいね

 

 

それを何も考えずに、もしくは相手の反応を面白がって何度も掘り起こすなんてのはハッキリ言って最低のクズ野郎のする事です。

 

それを繰り返される事によって、最初は本人も気にしていなかった事でさえ、大きなコンプレックスとなって後まで残ってしまう・・・本当、あいつは最低のクズ野郎だったなと改めて思いますね。なんか途中から恨み言っぽくなっちゃいましてすいません。

 

 

 

ここまで読んで頂きありがとうございました。

 

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fate/staynight ギルガメッシュ 名言 手に入らないからこそ

おはようございます!今日はゲーム「fate/staynight」のギルガメッシュの名言です。

 

 

「手に入らぬからこそ美しいものもある。」byギルガメッシュ

 

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手に入れられる物は何でも手に入れ、この世のありとあらゆる快楽を貪りつくしてきたと自負する英雄王であるギルことギルガメッシュ。

 

 

 

別にギルガメッシュに限らないですが、誰でも美しいもの(ここでは価値があるものという事にしておきましょう)は何でも手に入れたいのは自然な欲望です。

 

 

 

しかし、どんなに金持ちになっても、どんな権力を手に入れても一生、手に入らないものは人によってそれぞれあるものなんでしょう。

 

 

私にとってのそれは

 

 

「二次元美少女」

 

 

です。

 

 

これはどんな努力をしても手に入らない最たるものではないでしょうか。

 

 

私たちは二次元美少女たちの柔らかいけど張りがあって弾力のあるおっぱい(想像)を揉んだり吸ったり舐めたり嗅いだりする事は出来ない。同様に、染み一つないエロ美しい曲線を描いた尻を「スパーンっ!」と叩く事も黒スト越しに顔を埋めて深呼吸する事も出来ない

 

 

 キモイ事言ってすいません。。。

 

 

何故出来ないのかと言えば、彼女たちは「二次元」の存在であり、私たちがいるのは「三次元」だからです。

 

 

私は二次元美少女が大好きだが、三次元美少女に興味が無い訳ではないです。

 

 

しかし、二次元美少女というのは、それぞれあらゆる個性をもっていながらも共通点があると私は考えています。

 

 

それは「完璧である」という事。

 

 

何がどう完璧なのかをきちんと説明する事は私には出来ない。しかし、強いていうなら

 

 

「二次元美少女は二次元であるから完璧である」

 

 

という事になるのでしょうか。「何言ってんだこいつ?」と思われるかもしれませんが、もうこれは理屈ではないです。

 

 

 

三次元でどんなに美少女であっても、どこまで行っても三次元です。もはや三次元顔を見るだけで、世知辛い現実を思い出してしまうのです、別に現実にうんざりしているという訳でもないですが、たまには不完全で世知辛い三次元の事を忘れて、完全無欠である二次元に染まりたくなります

 

 

画面一杯に二次元美少女が映り、可愛く動き回ったりしているのもを見ると高い確率で邪な気持ちも浮かんでくるのは全然否定できなが、私はそれよりも何よりも「安心する」のです。

 

 

 

それはきっと、どんどん世知辛くなっていく現実の中、彼女たちはいつまでも変わる事なく、「完璧」であるからなのだと私は思います。その完璧さを見る度、私の心に平穏が訪れます。

 

 

 

とにかく、私たちは二次元美少女のおっぱいを揉めないし、キスも出来ないし、尻も叩けないし、Hも出来ない。手に入らない。だからこそ全力で想像して楽しむのではないでしょうか

 

 

手に入れたくて走り続けるけど永遠に手に入らない二次元美少女。これほど、手に入らないからこそ価値があるものはないのではないでしょうか。

 

 

 

ポイントは、「手に入らないならいいや。」と諦めるのではなく、「それでもなんとかして手に入れてやる!」と気持ちを捨てない事だと思います。

 

例えばおっぱいマウスパッドや、尻マウスパッドなどは手に入らなくても、それでも二次元美少女のおっぱい尻に手を伸ばすという男の欲望や情熱が形になったものでしょう。

 

最早、尻パッドなんかはマウスパッドとしての機能を捨ててまで尻を追求しているようです。

 

 

値段はバカみたいに高いが、いずれ私には依然として二次元美少女の尻を叩きたいという欲望だか情熱だかが燻っているので、少し目途がついたら、録音したちょっとえっちぃボイスをイヤホンで聞きながらこの動画のように尻を「スパーンっ!」と叩いたり揉んだりしてみたい。(飽きた後の事を考えるのは怖いですが)

 

 こういうのは自分を客観的に見た時点で負けでしょうね。

 

 

 

ここまで読んで頂きありがとうございます!

 

 

それでは今日も良い一日を!

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グリザイアの迷宮 日下部麻子 名言 苦手はあっても不可能はない

 おはようございます!今日の考える名言はグリザイアシリーズの日下部麻子さんの名言です。

 

 

「人間なんてのは結局、物の考え方次第でどうとでも変わる。いいか?今後はこう考えろ『苦手はあっても不可能はない』わかったか? 」by日下部麻子

 

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最初に言っておきますが、しょうもない話します。

 

まずは、私の苦手なもの、つまり今回の敵は何かという話だが、これです↓

 

 

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D.C.P.C. ~ダ・カーポ プラスコミュニケーション~というビジュアルノベルの彩珠ななこというキャラ↑

 

 

私はシナリオ重視のエロゲーマーであるから、もちろんシナリオを何よりも重要視しているつもりです。

 

 

 

しかし、この髪型、緑髪の色、デカ眼鏡、これがもうほんとに苦手。キャラデザをした方には大変申し訳ないと思うのだが、1ミリも可愛いと思えないんですよね。

 

 

これはこのキャラだからそうという話ではないんですが

 

「デカ眼鏡で髪が緑」

 

 

これがもう私的に完全にアウト。デカ眼鏡なだけでそのキャラに対する興味は限りなく0になりますが、緑髪とのコンボはホントにダメ。「あれ?メガネ取ったら可愛いじゃん。」とかそんなギャップてんで効果なし。なら最初から外してろよと。

 

 

私にとってはデカ眼鏡なんてのには萌え要素なんて欠片もなく、特大のガッカリ要素しかありません。

 

 

 

ここにさらに、いくつかの要素が組み合わされると、もう「うっわ。」ですよ。まあ、その可能性は高いんですが。

 

 

その要素は先のキャラがまさに体現しているが、眼鏡が無駄にデカいという点、そして、たぶんメガネかけてなくても可愛くない髪型、しかも色が緑。極めつけは、ドジっ子天然委員長キャラだったりとか。

 

 

エロゲーマーを数年やっているなら分かると思いますが、エロゲというものには、全ヒロインを攻略しなければ解放されないルートというものが度々あるものです

 

 

 

だから、TRUEENDを見る為に、エロゲーマーは時として、全く可愛いと思えないヒロインも攻略しなければならない時があります。

 

スキップという奥の手もありますが、これはその後の話重要な伏線なんかを読み飛ばしてしまうリスクがあるため、出来ればやりたくありません。

 

 

 

「趣味の時間になんで攻略したくもないヒロインを攻略しんだ、俺は?」

 

 

と考え始めたらどんどんやる気が失せてしまいますが、私的には、もう自分の事を「プロエロゲーマー」みたいに思い込み、仕事と同じようにこなしてしまうのもありだと思います。というかそうしてます。

 

 

仕事であるなら、それが必要である限り、基本的に何でもこなすのが当たり前のはずです。「仕事なら仕方ねえな」って思えます。

 

 

「自分には苦手はあっても不可能はない」と思い込めば大抵の事はやれてしまうと思います、そしてそれを乗り越えた暁には「達成感」というご褒美が待ってます。

 

 

私は今回この思考でこのヒロインを攻略してみましたが、「あー、やっと終わったよ。」っていうやれやれ感よりも、「おし!終わったぁ!」という感じの達成感を得る事が出来て、通常のヒロインを攻略した時とは全然違うが、とりあえず終わった時の自分の気持ち的には非常に良い方に持っていく事に成功しました。

 

 

 

例えがしょうもないことで申し訳ないのですが、確かに「無理な事」「不可能な事」ってのは一杯ありますが、たぶんそのレベルの事だとそもそも思いつかないのが普通だと思いますが、思いついてやってみたいって思える事を「可能か不可能か」にするのって自分の気持ちによるところはほんとにあるんだろうなって思います。バリバリ精神論ですけど。

 

 

ここまで読んで頂きありがとうございます!

 

 

それでは今日も良い一日を!

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